天皇と皇族方は、憲法が国民に保障する自由と権利を、
全面的又は大幅に制約されている。この事実をどう考えるべきか。憲法学の標準的な教科書の記述はこうだ。「二通りの考え方がありうる。第1は、天皇、皇族に人権享有主体性(人権を保障される資格)を認めつつ…ただし憲法が世襲制に基づく象徴天皇制を認めていることに鑑(かんが)み、それに由来するやむをえない制約は、憲法上許容される、と考える。第2の方向性は、天皇、皇族には人権が妥当しないと考える。そもそも人権は、身分的階層制を否定して、人を…“人一般”の立場に立たせたとき、はじめて認められる。ところが世襲に基づく象徴天皇制は、この原則に対して憲法自身が認めた例外領域である、ととらえるのである」(宍戸常寿氏ほか『憲法学読本〔第2版〕』。安西文雄氏執筆)私の考え方はもっと単純だ。憲法が保障しているのは、あくまでも国民(!)の自由と権利だ。“憲法上の権利”を規定する第3章の標題は「“国民”の権利及び義務」。条文でも以下のようになっている。「“国民”は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」(11条)「この憲法が“国民”に保障する自由及び権利は…」(12条)「すべて“国民”は、個人として尊重される」(13条)「すべて“国民”は、法の下に平等であつて…」(14条1項)「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、“国民”固有の権利である」(15条1項)等々。ところが、天皇と皇族は憲法上、国民ではない。従って、憲法が“国民に”保障する自由と権利を、“直ちに”享有し得るお立場には元々ないのだ。しかし勿論、だからと言って、天皇と皇族の自由や権利について、何ら配慮しなくて良いということでは全くない(一部にそう勘違いしている者らもいるようだが)。そうではなくて、天皇と皇族の自由や権利の望ましい在り方を探究する場合、(国民とは区別された!)天皇と皇族の「特別のお立場」を前提とすべきだと
考えている。